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開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう 英語名:Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里にある私立中学校高等学校である。中高一貫制男子校

概要 編集

1871年に共立学校として開校。中学受験では麻布武蔵と共に男子御三家として一部で認識されている。校名の『開成』とは、東京大学の前身であった開成学校と同じく、「論語」の「開物成務」からとったものである。そのため、「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校に限られる(下記参照)。

近年の少子化の中にあっても依然として難易度の高い入学試験が行われ、卒業生の大半が首都圏を中心とした各大学に進学する。中でも東京大学への進学者は多く、同大学の合格者は開成高校の卒業生の40%台となっている[1]。卒業生の多くは各分野のリーダーとして活躍し(開成中学校・高等学校人物一覧の項目を参照)、同校でもそれを意識した教育方針が立てられている[2]

また、自由闊達・質実剛健を教育目標として公式に掲げ、知識偏重ではなく、多様な価値観の下で各生徒が持つ自由な個性の育成も目指されている[3]。その明治以来の校風は多くの同校出身者に影響を与え、その下で行われる運動会・水泳学校・ボートレースマラソン大会などは開成のもう一つの顔として知られている。特に運動会は現役生徒が心血を注ぐ一大イベントで、卒業生や父兄間では「開成といえば運動会」との声は根強い。 中高一貫教育が主流という事情もあり、校内では「中学1年」(中1)・「高校3年」(高3)などとともに「1年」「6年」などの用語も使用されている(本稿では「中1」「高3」を使用)。

沿革 編集

1871年佐野鼎らによって神田相生橋(現 神田淡路町)に共立学校(きょうりゅう がっこう)として創立された。鼎の急逝後には廃校同様となったが、1878年大学予備門教授の傍ら高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任した。共立学校を大学予備門への進学者のための受験予備校として改革し、是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。その後も1890年代初期まで70人台、40人台、50人台と推移した[1]

1891年、尋常中学校令により、尋常中学共立学校と改称。さらに、1886年及び1891年の中学校令公布により、1府県1中学と定められたことにより東京に受験生が集まらなくなった私立各校とも軒並み経営が傾き、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、共立中学(都立戸山高)と共立学校(開成)が東京府の管轄下に入り、1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている。さらに中学校令改正により1899年東京府開成中学校と改称。

まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったため、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年東京開成中学校と改称。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。

また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が消失した1924年のこと。1920年に初めて行われた東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大附属中・高)とのボートレースは現在も行われている。

1960年に高校募集(定員50名)を開始し、次いで東大合格者数首位の座を掴むため、1974年には高校募集枠が100名に拡大され、現在の中学定員1学年300名、高校定員1学年400名体制となった。ここには、1967年都立高等学校学校群制度が導入され、都立日比谷高校(旧制府立一中)に象徴された「都立進学校」を志望していた学力成績上位層の中学生が私立高校受験に移行したという社会背景があった。1977年には出身高校別の東大合格者数で初めて首位の座に立ち、1982年から現在に至るまでトップの座にある。

アクセス 編集

年間行事 編集

  • 4月 - ボートレース
  • 5月 - 運動会
  • 8月 - 臨海学校
  • 9月 - 文化祭(開成祭)
  • 10月 - マラソン大会
  • 2月 - 中学・高校入試

ボートレース 編集

1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高等学校ボートレースが行われている。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。通算成績は開成の39勝40敗であるが、現在6連敗中である(2007年現在)。毎年新入生(中1及び編入の高1)の全員と高2・高3の有志で組織される応援団が応援に行くこととなっている。

運動会編集

例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大のイベント。高3が中心となって例年丸一年をかけて創り上げられる。紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒の組に分かれて行われる。中高合同で行われ、高校はクラスごと、中学は各クラス5~6人ずつ8つの色に分ける(中学は7クラスのため)。この色が各組のアイデンティティとして代々引き継がれ、卒業後も同窓会の会合などでは「1組」「2組」とともに「紫組」「白組」などの呼称が使われる事が多い。また、審判や運営担当の「運動会準備委員会」なども独自の色の鉢巻きやたすきなどを着用する。

競技編集

  • 団体競技(基本的に全員参加)
    • 馬上鉢巻取り(中1)
    • 綱取り(中2)
    • 俵取り(中3)
    • 騎馬戦(高1)
    • 棒倒し(高2・高3)
  • 個人競技

臨海学校編集

毎年7月、水泳部の合宿と合同で行われ、千葉県館山市の施設に中1が全員参加する。同水泳部は日本泳法水府流太田派を継承し、参加者全員が白の六尺褌を着用する[2][4]

文化祭編集

毎年9月の第4土曜日と第4日曜日に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」の下、文化系の各部や同好会・サークルなどが参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。また、運営本部による古本市も開催され、教職員などが本を寄付する。入場制限はなく、開成を志望する児童・生徒やその保護者も頻繁に訪れるが、知名度は運動会に劣る。この点は、進学校として対比される事が多く、文化祭の方が運動会よりも注目を集める麻布中学校・高等学校と好対照である。また、生徒は高2の文化祭を最後に部・サークル活動を引退し、高3は文化祭に参加しないのが慣例となっている。

マラソン大会 編集

荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5 km、中2・3が6 km、高校生は8 kmである。

部活動・個人活動 編集

学内には約50の公式部、および10を超える同好会がある。運動部は運動会で利用される土の第2グラウンドや体育館などで活動するが、各競技の東京都大会で上位に進出することは少ない。ただ、硬式野球部員が大学進学後に東京大学運動会硬式野球部に入部し、東京六大学野球(東京六大学野球連盟)で他大学の有力選手と対戦する例などがある。硬式野球部では東京大学出身の青木秀憲を監督に迎え、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会東東京大会のベスト16に入りマスメディアに注目された[5]

一方、文化部では全国大会で優秀な成績を収める例がある。俳句部は、俳句甲子園として知られる「全国高校俳句選手権大会」で11回大会中4回優勝、2回準優勝、同校生徒の最優秀句作者選出2回の成績を残している。また、国際数学オリンピック国際化学オリンピックなど、高校生(中学生)を対象とした理数系の国際競技大会に同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がしばしばある。

高校関係者一覧 編集

開成から分離独立した学校 編集

  • 昌平中学校昌平高等学校
    • 1903年に神田淡路町の東京開成中学校内に開成夜学校として創立。
    • 1923年の関東大震災での校舎焼失を機に、1926年に神田駿河台に分離。
    • 1936年昌平中学となる。
    • 1948年昌平高等学校となる。
    • 1966年に募集停止し1979年に廃止。
    • 2000年に福島県いわき市にて東日本国際大学附属昌平中学・高等学校として再興。

開成の関係者が設立した学校 編集

関連文献 編集

  • 『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
  • 『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
  • 『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
  • 『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一

脚注 編集

  1. 参照 『明治前期中学校形成史 府県別編I』 神辺靖光 梓出版社
  2. 私学制服手帖 エレガント編(森伸之、みくに出版、ISBN 978-4840302920)P49~52

関連項目 編集

外部リンク 編集

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